一昨日、仙台で「ベガルタ仙台20周年記念試合 ベガルタ仙台レジェンドvsユベントスレジェンド」が行われた。
前身のブランメル仙台時代から含めて歴代の選手が勢揃いし、対戦相手のユベントス・レジェンドの選手たちとともに11000人以上の観客を魅了した。
そんな中、僕は一人の選手の姿を追いかけていた。
その選手の名は 「伊藤壇」

アジア各国のリーグで活躍し、「アジアの渡り鳥」と呼ばれるさすらいのフットボールプレイヤーだ。
これまでになんと17もの国・地域のリーグでプレーした経験の持ち主
~所属クラブ~
1998-1999: ブランメル仙台 / ベガルタ仙台(日本)
2000: 札幌蹴球団(日本)
2001: ウッドランド・ウェリントンFC(シンガポール)
2002: ウエストゲートSC(オーストラリア)
2003: サイゴン・ポート(ベトナム)
2004: 傑志(香港)
2004: オーソットサパーFC(タイ)
2004: 傑志(香港)
2005: ペナンFA(マレーシア)
2005-2006: QAF FC(ブルネイ)
2006: クラブ・バレンシア(モルディブ)
2006: QAF FC(ブルネイ)
2006: ブルネイ DPMM FC(ブルネイ)
2007-2008: QAF FC(ブルネイ)
2008: 屯門体育会(マカオ)
2009: 名門世家加義(マカオ)
2009-2010: チャーチル・ブラザーズSC(インド)
2011: ラカプラ・ユナイテッド(ミャンマー)
2011-2012: マナン・マルシャンディFC(ネパール)
2012 : ビルド・ブライト・ユナイテッド(カンボジア)
2013.2 - 2013.4 : グリーン・アーチャーズ・ユナイテッド(フィリピン)
2013.5 - 2013.12 : エルチム(モンゴル)
2014 - LAO TOYOTA(ラオス)
2014 - Yotha FC(ラオス)
これは立派なギネス記録だ。
もう本当に「すごい」の一言に尽きる。
僕が初めて伊藤壇選手を知ったのはもう15年以上も前、高校生の頃だ。
日本を離れてからもブログなどで情報はチェックしていた。
そして、遡ること1ヶ月前
僕は東南アジアのラオスにいた。
ラオスはタイ、カンボジア、ベトナム、ミャンマー、そして中国と国境を接しており、私たち日本人にはあまり馴染みのない内陸国。
ラオス国内の地図

首都のビエンチャンは2010年に初の民間航空会社ができこともあり、たくさんの外国人旅行客が訪れ、急速に発展している。
また、街中にはこんな看板もあり、共産主義国家としてつい20数年前まで完全に鎖国していたというのが感じることができる。
パリの凱旋門をモデルとして作られたラオスの凱旋門・バトゥーサイ
そして、ラオス国内の北から南まで流れているメコン川。
カンボジア同様、ラオスの人々はメコン川とともに生きているようだ。
僕が伊藤壇選手と出会ったのはラオス第2の町・パクセー
タイの首都バンコクからバスで12時間かけてこの町にやってきた。
ラオス国内のトップリーグであるラオスプレミアリーグは2013年にプロ化され、現在は12チームが所属。
伊藤壇選手は、このリーグに日本人選手第一号として今年、ラオ・トヨタFCに入団し、その後、Yotha FCにレンタル移籍。
僕自身も4年前にリーグ戦を見に来たことはあったが、その時はまだ日本人選手はいなかった。
そして、この日はアウェイ・SHBチャンパサック戦を見にこの町まで来た。
※水色がYothaFC
観客は2~300人程。
背番号99が伊藤壇選手
整備されていないピッチはもちろん、凸凹。芝が不均等に生えて、場所によっては膝近くまで伸びている。
そんな環境でも伊藤壇選手は中盤の攻撃的なポジションでフル出場。
点差こそ0-1だったが、その力の差は歴然。
その中でも伊藤壇選手は中盤でボールをさばき、なんとかチャンスを作ろうとは孤軍奮闘していた。
そして、試合後に話す機会があり、日の丸にメッセージをもらいました。
90分間フルで出て疲れているのにもかかわらず、この日の試合やラオスリーグについていろいろ教えていただくなど本当に親切にしてもらい、素晴らしい時間になりました。
その後、僕らは一旦、首都のビエンチャンに移動したが、すぐに国境であるメコン川を渡り、タイに入国し、コンケーンという町でタイ・Division1の試合を見た。
スタジアムにはたくさんの観客がいて、日本人選手も活躍し、ものすごい盛り上がっており、タイサッカーの熱さを再確認することができた。
そのままタイ国内を移動し、週末にはタイ北部の町・チェンライでタイプレミアリーグの試合を見る予定だった。
しかし、何か腑に落ちない。
そして、自分の心に嘘はつけなかった。
僕は「もう一度、伊藤壇選手の試合が見たい」と思った。
実際、先週の試合は伊藤壇選手自身も不完全燃焼だったように見えた。
ラオスリーグは今週末が最終節。
伊藤壇選手のプレーは今度はいつ見れるかわからない。
僕らは数日前に訪れたビエンチャンに引き返した。
そして、2014シーズン・ラオスリーグ最終節を観戦。
※黄色がYothaFC
この試合、伊藤壇選手は積極的にシュートを打ち続けた。
シュートはわずかに逸れたが、前の試合よりもゴールを決めたい、勝ちたいという気持ちがスタンドで見ている僕たちにも伝わってきた。
試合前日、ブログなどにで「おそらく、この試合がラオスでの最後の試合になるだろう」と言っていた。
だからどんなに失点しても諦めずに最後まで点を取ろうと攻め続けた。
僕はその姿に感動した。
その翌日、朝から壇さんに紹介されたビエンチャン在住の日本人と韓国人とサッカーの試合に参加させてもらったり、帰りの便が同じだったのでご一緒させてもらった。
ハノイで乗継ぎだったので空港で
と言ってベトナムでプレーしていた当時の話をしてくれた。
予測できない聞いたこともない経験談が次から次へと出てくる。
その中は、選手としての話、一海外在住者としての事など様々だ。
僕は、これまで世界中でたくさんの日本人選手と出会い、彼らがサッカー選手として海外で経験した話を聞いてきたが、伊藤壇選手の経験談は、僕のこれまで聞いた全てを一蹴するほど、刺激的だった。
サッカー選手としてのプロ意識の高さ、そして人とのつながりを大切にし、本当に人間としても尊敬できる方でした。
そんな伊藤壇選手がこのレジェンドマッチに出場する。
もう一度ベガルタのユニフォームを着て、あのユアスタでプレーするというのだ。
試合当日、僕らはどんな歴代の名選手よりも「伊藤壇選手」に注目した。
スタジアムに入ると、サッカー教室が行われていた。
すぐに発見
そして選手入場時、大型ビジョンにベガルタのユニフォーム姿で映った瞬間、本当に嬉しかった。
ダービッツと握手
試合は中盤でボールを捌き、チャンスをなると一気にゴール前に走り込んでいた。
同じく東南アジアで活躍する大友慧選手と談笑。今回のレジェンドマッチで現役選手はこの2人のみだった。
試合後、場内一周している時
壇さんに見つけてもらおうとアウェイ側、ホーム側と移動し、最後の最後に見つけてくれて笑顔でした。
伊藤壇選手、お疲れ様でした。
素晴らしいプレー、感動をありがとうございました。
僕は壇選手と話していた時のある言葉が心に残っている。
僕はこの言葉を聞いて伊藤壇という選手がもっと好きになった。
人と違う道を選ぶというのは本当に勇気がいる。
常に新しい環境に身を置いて、ゼロからはじめ、なおかつ短期間で結果を残さなくてはならない。
そんなプレッシャーを自分の力に変えて「有言実行」し続けてきた伊藤壇選手は本当にすごい。
これからも現役として1ヶ国でも多くのアジアの国で、1試合でも多く活躍することを祈ってます。
そして、いつかまた応援しにいきます。
たくさんの感動をありがとうございました。
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