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前日の清水戦に引き続き、ユアスタへ。
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この日は、『ベガルタ仙台20周年記念試合 レジェンドマッチ ベガルタ仙台レジェンドvsユベントスレジェンド』の試合が行われた。
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普段、関東に住んでる人間にとって2日連続ユアスタでベガルタの試合が観れるなんてめったにない。

サポーター目線でいうと、ユアスタの芝が荒れないか心配だが、この日は昔、憧れたあの選手達が凱旋するのだ。

ベガルタ仙台は、僕が小学生の頃にできて当時の名前はブランメル仙台だった。


JFL(当時の2部)では、1995年から参加していたが、当時の宮城県にはユアスタも宮スタもなく、宮城県サッカー場と宮城野原陸上競技などで転々としながら試合が行われていた。


また、当時はJリーグブーム。

テレビではジーコ率いる鹿島アントラーズやスター軍団•ヴェルディ川崎の試合が毎週放送されていた。

小学生だった僕はJリーグチップスを買い、カードを集めたり、ラジオやテレビのサッカー番組は欠かさず見ていた。

また、それまで巨人や西武の帽子をかぶっていたクラスメイト達にも変化が起き、徐々に鹿島やヴェルディの帽子をかぶるようになっていった記憶がある。



だが、サッカーの試合なんて、所詮テレビの中でしか知らなく、全く別の世界のものだとどこかで思っていた。

そんな中、ブランメル仙台ができたおかげでサッカーというものが身近になった。





今回は、その当時の選手達が凱旋するというのだから行かない選択肢はない。


また、試合前にイベントなどがあるというので珍しく、開門時間にユアスタへ着くように行った。

泉中央駅前では試合に合わせて、ホームタウンフェスタというイベントが行われており、屋台やどがたくさん出店していた。
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その後スタジアムに入り、まず目に入ってきたのはバックスタンド上部にあるベガルタ仙台とブランメル仙台のフラッグ。
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1999年にブランメルからベガルタに変わったが、初めてエンブレムやフラッグなどその色合いを見た瞬間、あまりにもカッコ悪過ぎだと思い、それから数年間試合を見なかった。


しかし、15年も経つとそんな小さなことは気にならなくなり、いつの間にかベガルタゴールドを応援するようになっていた。


※しかしながら『杜の都•仙台のカラーは緑』だろうと今でも思っていることに変わりはない。笑



スタジアム内部で出場予定のOB選手の現役時代の写真展を発見。
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当時の記憶が蘇ってきた。




また、選手がOBならベガチアも言わんばかりに歴代のベガチアも集合し、ピッチ上で躍動していた。
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正直、現役と比べても遜色ない動きで驚いた。

ここに参加した初代ベガチアの友人に聞いたところ、10年以上のブランクをたった2週間でここまで仕上げたらしい。
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当時の動きが今でも体に染みついているのだろう。

皆、素晴らしい笑顔で楽しそうに踊っている姿が印象的だった。



こちらは昔の選手達のチャントの歌詞カードとサポーター有志が作った自作のベガルタ新聞
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当時は、応援に全く興味なかったのでチャントを一つも覚えてなかったが、こういったものの文章や単語を一つ一つ見るだけで当時のことを思い出すことができた。






ちなみにこの日の対戦相手ユベントス•レジェンド。

イタリアサッカーとは、2002年日韓ワールドカップの時に仙台でイタリア代表がキャンプを行なってから交流が始まり、これまでキエーボやラツィオなどが親善試合を行なったり、ミランOBがチャリティマッチを開催したことがある。


スタジアム前では、先日のワールドカップでも活躍したイタリア代表ピルロやあのデルピエロのユニフォームのチャリティオークションが行われていた。
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こちらはメインスタンド内部のユベントスのグッズ売り場。
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ここで他のチームのグッズが販売されていることなどあまりないのでとても新鮮だった。


ピッチでは、試合前のOB選手達が子供達にサッカー教室を行なっていた。
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こちらは仙台史上最高の助っ人マルコスと先日までジェフ千葉の監督を務めた鈴木淳さん。
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試合前には鈴木淳さんはじめ、試合には出なかったが、1995年のブランメル仙台初年度のメンバーが揃い、挨拶をした。


また前監督で現在、日本五輪代表監督である手倉森監督が挨拶。
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そしてベガサポとして有名なTRFのYU-KIさんが仙台のサポーターが試合前に選手を迎え入れる時に歌うカントリーロードを熱唱。
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それに合わせてスタンドでは、サバイバルダンスを歌うサポーターの姿も見られた。笑




そして、いよいよ選手入場
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選手紹介では、やはりダービッツが1番の歓声
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先発メンバーはほとんどがベガルタ仙台初年度の1999年の布陣。
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根子の素晴らしい右足の巻いたシュートとダービッツの目の覚めるような弾丸ミドルが決またりと最初の15分間だけで3点も入る展開に。
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およそ15分程で選手が全員交代
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次に出てきたのは主に初めてJ1に昇格した2002年以降のメンバー
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シルビーニョ
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岩本輝雄
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財前宣之
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村田達哉
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大友慧
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中でも目立っていたのはやはりマルコス
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現役時代は細身の長身で足でも頭でも点を取れる完ぺきなイメージだったが、現在はだいぶ太り、元ヤクルトのペタジーニのような見た目でやはり動きは鈍かった。


しかし、徐々に慣れてくると後半に見事なトラップからのシュートとヘディングで2得点。
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この男、やっぱり持ってるんでしょうね。
お見事でした。


ハーフタイムにはナオトインティライミさんがLIVE。
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若い子を中心にそこそこ盛り上がりました。



後半は、再び最初に出たメンバーがスタートから出場。
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ラスト10分で現ベガルタ仙台の渡辺晋監督が登場
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なんでも、練習試合が終わって急いでかけつけたらしく、久しぶりに見たユニフォーム姿はやっぱりカッコよかった。



その頃、ユベントスベンチではあの男が静かに闘志を燃やしていた。
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そう、ザッケローニ前日本代表監督の通訳の矢野大輔さんです。
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矢野さんはこの日、通訳として参加していた。
ベガルタよりも平均年齢が10歳も上でただえさえも人数が少ないユベントスの中で矢野さんは若手。監督から言われて急遽出場することになった様子。


しかも、後半ロスタイムにゴール前でのFKからまさかのダイビングヘッドで決めちゃいました。
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チームメイトに祝福され矢野さん。
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試合は矢野さんのゴールが決勝点となり、5ー4でユベントスレジェンドが勝利。
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今回は公式戦ないが、これほどまで面白かったチャリティマッチは初めてだろう。
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試合後に選手達が場内一周
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TRFのYU-KIさんもサポーターのところへ行って挨拶してました。
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最後に矢野さんに全部持っていかれた感じでしたが、とても充実できたいい試合でした。




約10年前、自分が海外に行き、各国のリーグ戦を見始めてからはよりベガルタ仙台への思いが強くなったと思う。

世界各地のいろんな場所に行って試合を見ても、やっぱり自分が生まれ育った地元のクラブが1番感動する。


今回はトップチームの試合と、レジェンドマッチを見ることができて本当に素敵な2日間でした。


今度はいつ来れるかわかりませんが、また帰ってきたいとおもいます。
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