FIFAアンセムが流れはじめると、あふれんばかりの大歓声が沸き起こった。

3万人以上の大歓声に迎えられ、審判団を先頭に青と赤のユニフォームを身にまとった両チームの選手たちが出てきた。


5日前、カンボジア代表は賛否両論はあるものの、GKヤティを中心に90分間 ''ドン引きサッカー'' を貫き、日本代表を相手に「わずか3失点」に抑えることに成功した。

彼らにとって雲の上の存在であった日本代表。

そんな日本代表との試合が彼らに与えた影響は計り知れないだろう。

カンボジア代表の表情を見る限り、以前とは比べ物にならないくらい自身に満ち溢れた表情をしている。

アジアトップレベルとの戦いが、この短期間のうちに彼らにこれほどまでに影響を与え、成長させたというのだろうか。
XSW













9月8日

この日はアジア各地でロシアワールドカップ2次予選が行われた。

僕が住むカンボジアでもシリア代表との試合があった。

会場のオリンピックスタジアムには試合開始2時間前に到着した。

既に周辺には、カンボジア代表のホームカラーである青のユニフォームを着たサポーターが大集結していた。



「今日もチケット売り場には長蛇の列ができて買うのにも苦労するのだろうな」


そんなことを思いながらチケット売り場に行ってみたが、思っていたよりも人は少ない。

カンボジアでは、6月のシンガポール戦でチケットが完売し、買えなかった人たちが入口に押しかけてゲートを壊して乱入したという事件があったばかりである。そういったこともあり、人々はついに事前購入という最先端の購入方法、もしくはダフ屋が買い占めるまでになったのか。そんなことを思うと少しうれしくなったのでしばらく、チケットを購入する人々を眺めていた。


メインスタンドの入口でタオルマフラーを販売しているブースを発見。よく見てみると先日のブータン戦と同じ団体だ。

今回はタオルマフラーに加え、Tシャツと帽子が新しく販売されており、多くの人が足を止めて見ていた。


販売されているのはどれも国旗、もしくはカンボジア代表チームの愛称である「アンコールウォーリアーズ」の文字が入っただけのシンプルなデザインだが、これまでのカンボジアサッカーの歴史からすると、サッカー人気を利用した商売を考える人が出てきただけでもとてつもない進歩だと言える。
 

なお、以前にも紹介したようにこの団体は売上の一部を病院などに寄付するというカンボジアでは珍しい超優良な団体である。




しばらくすると、ユースの代表チームのような団体を発見。
「A代表の試合をユース代表が実際のユニフォームを着て見に来ている」
先月行われたU-16ASEAN選手権でもA代表のエース・ワタナカ選手が自らの代表ユニフォームを着て見に来ていた。良くも悪くも選手とファンの境界線がないに等しいのがカンボジアなのである。






そして、肝心の試合だが、前述のとおり、カンボジア代表イレブンは生まれ変わったかのような軽快な動きでキックオフ直後から果敢に攻め続け、シリアゴールを脅かした。


この日の対戦相手のシリアは日本代表に次いでこのグループの本命とも言えるチームである。

そんな実力国を相手に攻め続けるカンボジア代表の姿を見ていると、やはり日本戦での奮闘が彼らに自信になったのは間違いないようだ。

どうしても判断力とシュート精度が悪いせいで最後のところで崩せずゴールするには至らないが、しっかりとセカンドボールも取れ、相手の得意なカウンターに持ち込ませない。

サッカーは失点しなければ、負けることはない。

相変わらず、得点の臭いは感じれないが、失点する気配も感じない。

カンボジア代表はじめ、東南アジアの国は部分部分では良いサッカーをして支配できるが、90分通してとなると、どうしてもまだ東アジアや中東勢に勝てない。

たしかにこの日のカンボジアはいつもと比べ物にならないくらいいいプレーを続けている。

しかし、いつ事件が起きてもおかしくない。

油断ならないと思いつつも僕も人間なので期待してしまう。

そして、「もしかしたら今日はいけるかも!」という期待が脳裏をよぎった次の瞬間、ホイッスルが鳴った。


会場にいた人達は何が起こったのかわかるまで時間がかかった。

大型画面に映ったリプレイ映像を見て、ようやく理解したらしく、ざわつきはじめた。


遠くてよくわからなかったが、主審は何やらペナルティエリアの中央を指さしている。

どうやらシリアの選手が上げたセンタリングが ''内側'' にいたカンボジアの選手の腕に当たってしまい、ペナルティキックを取られたのだ。



せっかくここまでいい流れだったのにこれでまたいつも通りになってしまう。

まだ試合が始まってそんなに時間が経っていなかったが、僕たちは絶望的な気持ちになった。



だが、1人の男が闘志を燃やしているのがスタンドからでもわかった。

日本戦で活躍したGKヤティだ。


勝負の行方は、1人の男に委ねられたが、なんと、ヤティがPKを止めた。
 
しかも、最初からわかっていたかのようにキッカーの左隅へのシュートに完璧に反応し、止めてみせたのだ。
SCSCS


このスーパーファインプレーにスタンドの観客はもう総立ちになり、ヤティに声援を送った。
 無題SCS


GKヤティのおかげで僕の中での『やはり今日は何かが違う』と思う気持ちが再燃し始めた。


これが先日、あの日本代表を3点に抑えた自信なのだろうか。

さらに中盤で華麗に相手をかわし、パスを繋いでシリアゴールを攻め立てるアンコールウォーリアーズ。





これはいける。

本当にいけるかもしれないぞ! 

 

 
だが、次の瞬間、僕のその思いは確信に至るどころか、一瞬でどこかへ吹き飛んでしまった。

シリアDFが後方から送ったふんわりとした何でもないようなボール。

それにカンボジアゴール前にいた''誰かの頭に当たってしまい''、そのままカンボジアゴールに吸い込まれていってしまったのだ。


この事故のようなゴールで一瞬にして静まり返るスタジアム。

さっきまでヤティの神セーブに狂気乱舞していたカンボジア人たちも誰1人声が出なかった。




悔しい。

僕は日本人だが、この失点は本当に本当に悔しかった。


日本なら「たった1点くらい気にするな!すぐに返せる!」と言えるが、ここはFIFAランク180位のカンボジアである。

国際舞台での経験に乏しい彼らは逆境に慣れていない。



選手にとっても、見ている僕らにとってもこの1点が相当重くのしかかってた。


そして、カンボジアボールで再びキックオフをした後、想像はしていたがその想像以上にカンボジアの選手たちの動きがピタリと止まってしまったのだ。

まるでさっきまでとは全く別のチームのようだ。


そこから連続で3失点。

0-4



目の前で
まざまざと現実を見せつけられた。


日本戦前日のニコ生でも言及したが、これがカンボジアの1番の弱点であるメンタルの弱さである。


カンボジアに来てから数ヶ月が経ったが、この時ほどもうどうしようもないような気持ちになったことはない。

 
これを見る限り、彼らが国際舞台の真剣勝負で勝つにはまだ当分先になりそうだと思わざるをえない。


 
前半終了する前に大粒の雨が降り出した。

観客のほぼ全員が屋根のある上層部もしくは、室内に避難した。

そこには、このまま試合も記憶も流れてしまわないだろうかと少し願ってしまった自分がいた。 







結局、そのままハーフタイムを迎え、雨が止んだ後半にメインスタンドに戻るとやけにがらんとしている。

客の3割程度はそのまま戻らず家路についたようだ。

この雨と試合内容では帰る人の気持も十分わかる。


 

だが、依然約7割ほどの観客は残り、真剣に試合を見ていた。 


そして、驚くべきことにバックスタンドの観客は、ほとんどが残り、声援を送っているではないか。





負けていると、ほどんどの人が興味を失ったり、帰ってしまうのはどの世界でもあること。

カンボジアは特にそれが強いと言われているが、徐々にではあるが、その習慣がなくなりつつあることを感じることができた。

カンボジアも変わろうとしているのだ。



ここにいたほとんどの人はサッカーをそんなに知らない人だろう。

しかし、これだけ大差がついても多くの人が最後まで声援を送っている。


それは逆にサッカーをそこまで知っている人がいないというのがメリットでもあるということなのだ。

この国のサッカーはまだまだ成長する。

期待を持っていいと思う。

この会場に残って見ていた彼らは間違いなく、カンボジアサッカー界にとって「宝」である。




試合は0-6で敗れてしまったが、今後のためにはこの敗戦は必要だったのだろうといつか思える日が来るように僕達も頑張りたいと思います。