2015年11月17日
この日はカンボジアサッカー界にとって忘れられない日となった。
ロシアワールドカップアジア2次予選で日本代表がカンボジア代表とプノンペンで対戦。
思えば今年は、3月のワールドカップアジア1次予選でマカオを相手に4-1で勝利(1stレグ3-0,2ndレグ1-1) し、史上初めてワールドカップ2次予選へ駒を進めた。
それだけでも快挙なのだが、4月の組み合わせ抽選会でなんと、日本代表と同組に入ることとなった。 <※組合せ当時の様子はこちら>
カンボジアサッカーに関わることになった年に日本代表と対戦できるなんで、本当に運が良かったと思う。
当時、僕は横浜のカフェで組み合わせ抽選会の中継を見ていた。
ワールドカップ本大会の抽選会以上に興奮し、決まった瞬間、心の奥底から熱いものがこみ上げてきたのを今でも鮮明に憶えている。
2005年に初めてカンボジアを訪れてから10年という月日が経った。
シェムリアップのガラスの破片がたくさん落ちている空き地で毎日、「ナカタ、ナカムラ」と言われながら子供たちとボールを追いかけた。当時から彼らにとって日本代表は憧れの存在だった。
内戦を生き延びたおばあちゃん達から当時の話を聞いて涙し、今も残るたくさんの地雷を見て驚愕した。
町中のレストランで働いていた小さな女の子と仲良くなったが、数カ月後に訪れた時は店は潰れ、彼女の姿はなかった。隣のお店の人に彼女の行方を聞くと、かえってきたのは「たぶん、どこかへ売られた」の一言。
もうこの国の人々は生きるだけで精一杯だった。
あれから10年が経ち、カンボジアは今や東南アジアでも有数の経済発展を遂げた国となった。
まだまだ問題は山積みだが、人々がようやく娯楽に時間を使えるようになり始めた。
そして、あの日夢見た日本代表との対戦がついに実現したのだ。
数日前から街中で日本からやってきただろう日本代表サポーターの姿を見かけたが、僕は14~16日に開催したイベントのことで頭がいっぱいで楽しむ余裕が一切なかった。
迎えた試合当日
なんとかやることを終わらせて、キックオフ2時間前にオリンピックスタジアムへ行くと、たくさんの見たことある顔を発見。
日本はじめ、アジア中からたくさんのサッカー仲間が来てくれた。
これまで世界中のスタジアムの前で見てきたいつもの風景を前に心が落ち着いていく。
そして、同時にこの試合に対する期待感がようやく高まってきた。
内部に入ると、既にスタンドは日本サポーターでいっぱいだった。
メインスタンドはオリンピックスタジアムで唯一座席があり、今回はその座席に番号がつけられている。
指定された席がどこかわからなくてスタッフに尋ねるものの、それ以上にわからないスタッフ。予想していた光景だ。笑
それにしてもスタジアムに入ってから妙な違和感がまとわりついた。
僕がこれまで見てきた光景、ブログで発信してきた光景にみんながいる。
これまで誰も知らない、興味を持たないだろうと思っていた場所にみんながいるのだ。
いつもは発信しようと必死にネタを探して写真を撮るが、この日は完全に同窓会気分でいろんな人と話をした。
ブラジルや南アフリカで共に生きたサポーター仲間、海外の試合では常に一緒だったメディアの人、五輪や各予選で一緒だった応援のリーダー、被災地支援で知り合った海外のサッカー選手など時間が許す限り、走り回て話をした。
今回の試合は自分のクラブの試合でもないし、所属選手が代表に選ばれているわけでもないが、みんながカンボジアのサッカーを見にきてくれたことが本当に嬉しかったからだ。
純粋に皆とその時間を楽しんでいる自分がいた。
日本人サポーターの中に僕と同じカンボジア在住の日本人の友人たちの姿も見かけた。
皆さん、日本の応援というよりも現地の人とともにカンボジア代表を応援するという人が多く、それぞれお手製の幕やゲーフラを作成し、素晴らしい雰囲気を作り出していた。
やはり、この試合は影響力は大きいと再確認。
これをきっかけにサッカーに興味を持ってもらえて、スタジアムに足を運んでくれたら嬉しい。
そして選手入場、国歌斉唱
カンボジア国歌がいつも異常に勇敢で、力強く感じた。
国歌斉唱の後、スタジアムに慣れ親しんだ「ニッポンコール」が鳴り響く。
現地の観客の反応を見ていると太鼓の音に反応し、驚いた様子だった。
カンボジア人で一番人気は、やはり香川真司と本田圭佑。
特に本田圭佑が途中出場した瞬間、対戦相手のカンボジア人達から大歓声が沸き起こった。
日本代表サポーターにとってかなり違和感がある光景だったようだが、試合後にカンボジア代表の選手達が一斉に日本代表選手とユニフォーム交換を申し出ていたことからもわかるとおり、カンボジアにとって日本代表や欧州の一流クラブでプレーしている彼らは雲の上の存在なのだ。
現在のカンボジア代表は全員が国内組。
街中では常に欧州サッカーの試合が放送されており、海外でプレーする選手に対する憧れは非常に強いのだ。
試合は0-2と大健闘。
終始押されていたが、何度かチャンスを作るなどこれまでの予選の試合の中で最も内容がいい試合だったと思う。
この試合に出場していた選手たちもハイレベルな相手と対戦したことでこれまでと同じ意識でプレーしていてはダメだということは痛感したはずだ。これから彼らの意識が変わってくることに期待したい。
そして、カンボジアのこれまでの状況を考えると、たった10年でここまできたのはほんとうに素晴らしいこと。
1990年代に日本サッカーも急成長を遂げたが、カンボジアにもその可能性は十分にある。
後半出てきたエースFWワタナカや吉田麻也に走り勝ってチャンスを作ったFWラポラヴィーなど個人で戦える選手は今でもいる。
カンボジア人選手がJリーグや欧州で活躍する日もそう遠くはないはずである。
今回、カンボジアに日本代表が来てくれたことで現地に様々な影響を与えた。
試合のイベントも大型ビジョンに映る映像もこれまでとは比べ物にならないくらいしっかりしていた。
カンボジア人、日本人にとらわれず初めてサッカーの試合を見た人が増えた。
日本は本田、香川以外、カンボジアはワタナカ以外に選手の名前を覚えてもらえた。(カンボジアでサッカー選手の認知度は決して高くはない)
今回の試合やワールドカップ予選を一過性のものとして終えるのではなく、来年以降も継続してカンボジアのサッカーイベントを開催し、積極的に情報を発信し、サッカー観戦を現地の生活に根付かせることが僕達の使命だと思う。
これからもカンボジアのサッカーならびにカンボジアンタイガーFCへの応援宜しくお願いします!
この日はカンボジアサッカー界にとって忘れられない日となった。
ロシアワールドカップアジア2次予選で日本代表がカンボジア代表とプノンペンで対戦。
思えば今年は、3月のワールドカップアジア1次予選でマカオを相手に4-1で勝利(1stレグ3-0,2ndレグ1-1) し、史上初めてワールドカップ2次予選へ駒を進めた。
それだけでも快挙なのだが、4月の組み合わせ抽選会でなんと、日本代表と同組に入ることとなった。 <※組合せ当時の様子はこちら>
カンボジアサッカーに関わることになった年に日本代表と対戦できるなんで、本当に運が良かったと思う。
当時、僕は横浜のカフェで組み合わせ抽選会の中継を見ていた。
ワールドカップ本大会の抽選会以上に興奮し、決まった瞬間、心の奥底から熱いものがこみ上げてきたのを今でも鮮明に憶えている。
2005年に初めてカンボジアを訪れてから10年という月日が経った。
シェムリアップのガラスの破片がたくさん落ちている空き地で毎日、「ナカタ、ナカムラ」と言われながら子供たちとボールを追いかけた。当時から彼らにとって日本代表は憧れの存在だった。
内戦を生き延びたおばあちゃん達から当時の話を聞いて涙し、今も残るたくさんの地雷を見て驚愕した。
町中のレストランで働いていた小さな女の子と仲良くなったが、数カ月後に訪れた時は店は潰れ、彼女の姿はなかった。隣のお店の人に彼女の行方を聞くと、かえってきたのは「たぶん、どこかへ売られた」の一言。
もうこの国の人々は生きるだけで精一杯だった。
あれから10年が経ち、カンボジアは今や東南アジアでも有数の経済発展を遂げた国となった。
まだまだ問題は山積みだが、人々がようやく娯楽に時間を使えるようになり始めた。
そして、あの日夢見た日本代表との対戦がついに実現したのだ。
数日前から街中で日本からやってきただろう日本代表サポーターの姿を見かけたが、僕は14~16日に開催したイベントのことで頭がいっぱいで楽しむ余裕が一切なかった。
迎えた試合当日
なんとかやることを終わらせて、キックオフ2時間前にオリンピックスタジアムへ行くと、たくさんの見たことある顔を発見。
日本はじめ、アジア中からたくさんのサッカー仲間が来てくれた。
これまで世界中のスタジアムの前で見てきたいつもの風景を前に心が落ち着いていく。
そして、同時にこの試合に対する期待感がようやく高まってきた。
内部に入ると、既にスタンドは日本サポーターでいっぱいだった。
メインスタンドはオリンピックスタジアムで唯一座席があり、今回はその座席に番号がつけられている。
指定された席がどこかわからなくてスタッフに尋ねるものの、それ以上にわからないスタッフ。予想していた光景だ。笑
それにしてもスタジアムに入ってから妙な違和感がまとわりついた。
僕がこれまで見てきた光景、ブログで発信してきた光景にみんながいる。
これまで誰も知らない、興味を持たないだろうと思っていた場所にみんながいるのだ。
いつもは発信しようと必死にネタを探して写真を撮るが、この日は完全に同窓会気分でいろんな人と話をした。
ブラジルや南アフリカで共に生きたサポーター仲間、海外の試合では常に一緒だったメディアの人、五輪や各予選で一緒だった応援のリーダー、被災地支援で知り合った海外のサッカー選手など時間が許す限り、走り回て話をした。
今回の試合は自分のクラブの試合でもないし、所属選手が代表に選ばれているわけでもないが、みんながカンボジアのサッカーを見にきてくれたことが本当に嬉しかったからだ。
純粋に皆とその時間を楽しんでいる自分がいた。
日本人サポーターの中に僕と同じカンボジア在住の日本人の友人たちの姿も見かけた。
皆さん、日本の応援というよりも現地の人とともにカンボジア代表を応援するという人が多く、それぞれお手製の幕やゲーフラを作成し、素晴らしい雰囲気を作り出していた。
やはり、この試合は影響力は大きいと再確認。
これをきっかけにサッカーに興味を持ってもらえて、スタジアムに足を運んでくれたら嬉しい。
そして選手入場、国歌斉唱
カンボジア国歌がいつも異常に勇敢で、力強く感じた。
国歌斉唱の後、スタジアムに慣れ親しんだ「ニッポンコール」が鳴り響く。
現地の観客の反応を見ていると太鼓の音に反応し、驚いた様子だった。
カンボジア人で一番人気は、やはり香川真司と本田圭佑。
特に本田圭佑が途中出場した瞬間、対戦相手のカンボジア人達から大歓声が沸き起こった。
日本代表サポーターにとってかなり違和感がある光景だったようだが、試合後にカンボジア代表の選手達が一斉に日本代表選手とユニフォーム交換を申し出ていたことからもわかるとおり、カンボジアにとって日本代表や欧州の一流クラブでプレーしている彼らは雲の上の存在なのだ。
現在のカンボジア代表は全員が国内組。
街中では常に欧州サッカーの試合が放送されており、海外でプレーする選手に対する憧れは非常に強いのだ。
試合は0-2と大健闘。
終始押されていたが、何度かチャンスを作るなどこれまでの予選の試合の中で最も内容がいい試合だったと思う。
この試合に出場していた選手たちもハイレベルな相手と対戦したことでこれまでと同じ意識でプレーしていてはダメだということは痛感したはずだ。これから彼らの意識が変わってくることに期待したい。
そして、カンボジアのこれまでの状況を考えると、たった10年でここまできたのはほんとうに素晴らしいこと。
1990年代に日本サッカーも急成長を遂げたが、カンボジアにもその可能性は十分にある。
後半出てきたエースFWワタナカや吉田麻也に走り勝ってチャンスを作ったFWラポラヴィーなど個人で戦える選手は今でもいる。
カンボジア人選手がJリーグや欧州で活躍する日もそう遠くはないはずである。
今回、カンボジアに日本代表が来てくれたことで現地に様々な影響を与えた。
試合のイベントも大型ビジョンに映る映像もこれまでとは比べ物にならないくらいしっかりしていた。
カンボジア人、日本人にとらわれず初めてサッカーの試合を見た人が増えた。
日本は本田、香川以外、カンボジアはワタナカ以外に選手の名前を覚えてもらえた。(カンボジアでサッカー選手の認知度は決して高くはない)
今回の試合やワールドカップ予選を一過性のものとして終えるのではなく、来年以降も継続してカンボジアのサッカーイベントを開催し、積極的に情報を発信し、サッカー観戦を現地の生活に根付かせることが僕達の使命だと思う。
これからもカンボジアのサッカーならびにカンボジアンタイガーFCへの応援宜しくお願いします!
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