いつもの行きつけのカフェで楽しそうな団体を横目に今夜も一人で夕飯。
何やら今夜はここのカフェを訪れた中で過去最大級の団体客の予約が入っており、パーティのようだ。
ここのカフェはもともと、去年同じチームだった選手に教えてもらった。
現在、僕が暮らしているプノンペン市内にはチェーン店を中心にカフェが多く存在する。
引っ越してきた当初は、「カフェが多いのはかつての宗主国・フランスの名残りなのだろう」と勝手に思っていた。
だが、よく考えてみたら東京でもバンコクでもクアラルンプールでも国の主要都市ならどこでもカフェが乱立している。
数年前にこんな本を読んだ。
昭和の時代、高度経済成長期の時期、日本人は働いて働いて働いた。
そんな生活に疲れたサラリーマンが脱サラをして喫茶店を経営しはじめた。
理由はメニューも少なく、起業するのに簡単だからである。
やがて街中は同じような喫茶店だらけで溢れかえった。
何やら今夜はここのカフェを訪れた中で過去最大級の団体客の予約が入っており、パーティのようだ。
ここのカフェはもともと、去年同じチームだった選手に教えてもらった。
現在、僕が暮らしているプノンペン市内にはチェーン店を中心にカフェが多く存在する。
引っ越してきた当初は、「カフェが多いのはかつての宗主国・フランスの名残りなのだろう」と勝手に思っていた。
だが、よく考えてみたら東京でもバンコクでもクアラルンプールでも国の主要都市ならどこでもカフェが乱立している。
数年前にこんな本を読んだ。
昭和の時代、高度経済成長期の時期、日本人は働いて働いて働いた。
そんな生活に疲れたサラリーマンが脱サラをして喫茶店を経営しはじめた。
理由はメニューも少なく、起業するのに簡単だからである。
やがて街中は同じような喫茶店だらけで溢れかえった。
現在のプノンペンは、当時の東京と同じように急速な経済発展をしているが少し状況が違う。
そこも経営者はカンボジア人がというよりは外資が入りやすい環境を政府が作っているので外国人が経営しているもしくは、〇〇系カンボジア人が多く経営しているパターンが多い。
まぁ、客の立場からすると経営者が外国人だろうが、現地人だろうが、過ごしやすいならどちらでもいい話ではある。
今、僕が滞在しているこのカフェの話に戻そう。
メニューには「1998年創業」と書かれている。
プノンペン市内ではかなり古い部類のカフェに違いない。
1998年というと、僕はまだ中学3年生。僕が初めてプノンペンを訪れた2005年より7年も前から存在していることになる。
その当時のカンボジアはあの残虐なポルポトがまだ生きていた時代。(正確には田舎に身を隠していたらしい)
その年代のカンボジアといえば、電波少年でやっていた日本の青年達が現地で暮らしながら道を舗装する「アンコールワットへの道」くらいしか思い浮かばない。(当時、この企画に参戦していた方と2005年にバンコクで知り合い、昨年プノンペンで行なわれた日本の学生が参加したスタディツアーにゲストで呼ばれるなど今でも親交がある)
前述のポルポト派の影響でカンボジアは1970年代中盤から激しい内戦に陥り、それまで築きあげてきた歴史が一気に吹っ飛んだのである。
このカフェは、そんな内戦の終わった直後の非常に混乱期に開店し、街の発展を今日に至るまで見続けてきた歴史あるカフェなのかもしれない。
この老舗カフェは僕にとって心のよりどころである。
一時期、足が遠のいたが最近、再び頻繁に訪れるようになった。
店員さんは本当に親切だし、何よりその自然体な接客が魅力のひとつである。
以前に大阪の水族館で働いていたというおばちゃんはじめ、スタッフ全員がお客との雑談が大好きで僕が店内に入るやいなや、「今日もいつものチーズトマトサンドでいい?」と冗談まじりに言ってくる茶目っ気たっぷりな感じがまた居心地をよくしてくれる。
また、お客のほとんどは欧米系の家族や団体が多く、日本人は知り合い以外みたことがないのも海外に住んでいることを実感させてくれる。(チェーン店はどこも行っても日本人がいる)
ランチやディナーには賑わいを見せ、なかなか長居はできないが、午後14~18時あたりまではほとんど貸し切り状態。仕事をするにも、読書をするにも最適な空間を提供してくれる。
先日、海外から会いに来てくれた大好きな友人にこのカフェを紹介したら心の底から好きになってくれたのも嬉しかった。
騒がしいプノンペンで唯一、心身ともにが休まるといっていいのがこのカフェ。
新たな試みをこの場所から始めたいと思う。
そこも経営者はカンボジア人がというよりは外資が入りやすい環境を政府が作っているので外国人が経営しているもしくは、〇〇系カンボジア人が多く経営しているパターンが多い。
まぁ、客の立場からすると経営者が外国人だろうが、現地人だろうが、過ごしやすいならどちらでもいい話ではある。
今、僕が滞在しているこのカフェの話に戻そう。
メニューには「1998年創業」と書かれている。
プノンペン市内ではかなり古い部類のカフェに違いない。
1998年というと、僕はまだ中学3年生。僕が初めてプノンペンを訪れた2005年より7年も前から存在していることになる。
その当時のカンボジアはあの残虐なポルポトがまだ生きていた時代。(正確には田舎に身を隠していたらしい)
その年代のカンボジアといえば、電波少年でやっていた日本の青年達が現地で暮らしながら道を舗装する「アンコールワットへの道」くらいしか思い浮かばない。(当時、この企画に参戦していた方と2005年にバンコクで知り合い、昨年プノンペンで行なわれた日本の学生が参加したスタディツアーにゲストで呼ばれるなど今でも親交がある)
前述のポルポト派の影響でカンボジアは1970年代中盤から激しい内戦に陥り、それまで築きあげてきた歴史が一気に吹っ飛んだのである。
このカフェは、そんな内戦の終わった直後の非常に混乱期に開店し、街の発展を今日に至るまで見続けてきた歴史あるカフェなのかもしれない。
この老舗カフェは僕にとって心のよりどころである。
一時期、足が遠のいたが最近、再び頻繁に訪れるようになった。
店員さんは本当に親切だし、何よりその自然体な接客が魅力のひとつである。
以前に大阪の水族館で働いていたというおばちゃんはじめ、スタッフ全員がお客との雑談が大好きで僕が店内に入るやいなや、「今日もいつものチーズトマトサンドでいい?」と冗談まじりに言ってくる茶目っ気たっぷりな感じがまた居心地をよくしてくれる。
また、お客のほとんどは欧米系の家族や団体が多く、日本人は知り合い以外みたことがないのも海外に住んでいることを実感させてくれる。(チェーン店はどこも行っても日本人がいる)
ランチやディナーには賑わいを見せ、なかなか長居はできないが、午後14~18時あたりまではほとんど貸し切り状態。仕事をするにも、読書をするにも最適な空間を提供してくれる。
先日、海外から会いに来てくれた大好きな友人にこのカフェを紹介したら心の底から好きになってくれたのも嬉しかった。
騒がしいプノンペンで唯一、心身ともにが休まるといっていいのがこのカフェ。
新たな試みをこの場所から始めたいと思う。
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